2013年6月26日水曜日

京町家のリノベーションを終えて思うこと

20年程前の話。

京都大学を卒業後、就職した設計事務所で、あるプロジェクトの担当をしていたのですが、そのプロジェクトをいっしょにされていた方が、京町家の再生・保存するための研究会を発足をされるということで、お手伝いをさせて頂きました。

その研究会が、「京町家再生研究会」。

発足当時は、元京都市都市計画局局長、京都大学名誉教授、大学教授、設計事務所の代表の方々など約10名で、京町家の現状やこれからのことを話していました。

その中で、祇園祭のお飾り場の一つ「橋弁慶山町会所」の移築・改修の話があり、京町家再生研究会として、計画に参加していました。

同時に、設計事務所では、アメリカのサンタローザの老人施設の設計チームのメンバーでもあったので、橋弁慶山町会所の実測・基本計画・基本設計までは参加できたのですが、老人施設の実施設計(アメリカでは、実施設計というよりは施工図レベル)アップの頃には、橋弁慶山町会所の実施設計までは自分の手で完了することができませんでした。

その後、橋弁慶山町会所は、工事も完了し、現在もビルの谷間に保存・再生され、祇園祭のお飾り場として使われています。

その頃から、設計事務所の業務が多忙になり、いくつかの再生計画で京町家再生研究会の手伝いはしていたのですが、なかなか会合には参加できませんでした。

あれから20年、京町家再生研究会は、作事組、友の会などの組織ができ、現在では多数の方々が参加をされています。他の設計事務所の方と名刺交換をすると、時々「京町家再生研究会」の文字が印刷されていたりして、発足当時とは違った雰囲気を感じました。

今思えば、研究会に参加し続けていれば、今回のリノベーションは、もっとすんなりと進めれたのかも知れないと思いつつ、京町家の奥の深さを感じました。

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